一九二九年秋、アメリカ株式市況の大暴落によって始まった大恐慌がヨーロッパ諸国へと波及する中で、一九三一年のイギリスをはじめとして各国は金本位制度から次々に離脱し、一九三三年にはアメリカも金輸出を禁止するに至って、ここに国際金本位制度は完全に崩壊したのです。
この間、日本は一九三○年(昭和五年)に金輸出の禁止措置を解いて(いわゆる金解禁です)金本位制度に復帰しましたが、折悪しくも世界大恐慌の渦中に巻きこまれ、大量の金準備が流出し、輸出の停滞と国内でのデフレーションの進行から、一九三一年(昭和六年)には再び金本位制度からの離脱を余儀なくされました。
その後一○年余を経過した第二次世界大戦後の一九四五年にアメリカの首都ワシントンDCに本部を置く国際通貨基金(IMFと略称されます)が設立され、ここに新しい国際通貨制度が誕生しました。
IMFの設立を定めた国際協定は、アメリカ東北部の山岳地帯にある小さな美しい村、ニューハンプシャー州ブレトンウッズにあるマウント・ワシントン・ホテルでの国際会議で採択きれたので、IMFを中心とする第二次世界大戦後の国際通貨体制は、しばしばブレトンウッズ体制とも呼ばれます。
IMF・ブレトンウッズ体制は、戦後の世界経済の中心国となったアメリカのドルを基軸とするIMFズ体制の下で基軸通貨国であるアメリカは自らの物価安定と完全雇用という国内均衡を政策目標とすることになりました。
一方、アメリカを除く各国は、一定のドル平価を維持するような形での金融政策の運営を迫られるようになりました(財政政策についても同様です)。
具体的に説明しますと、まずドルは金によってその価値を定められました(金一オンス=三五ドルです)。
アメリカは海外の中央銀行など公的機関からドルの金への党換請求があるときには、無制限にこれに応じることとなりました。
一方、その他の国の通貨は、金本位制度の下でのように金によってその価値が表示されるのではなく、金との党換を保証された米ドルによってその平価を定められたのです。
金本位制度の下での各国は金平価を維持するために金準備を保有することが必要でしたが、IMF・ブレトンウッズ体制の下では、ドル平価を維持するために必要なのは金ないしはドルということになりました。
つまりIMF・ブレトンウッズ体制は、米ドルを基軸通貨とする金・ドル本位制度とも呼ぶべきものだったのです。
なお、第二次世界大戦に敗れたわが国がIMFに加盟したのは一九五二年(昭和二十七年)のことでした。
わが国は実際の円の対ドル相場が平価を中心とした上下一%の幅の中に収まるように外国為替市場で介入することを義務づけられたのです。
円の対ドル相場が下落するときにはドル売り円買い介入、逆に円の対ドル相場が上昇するときにはドル買い円売り介入を行うこととなりました。
わが国の外貨(ドル)準備は、前者のケースでは減少、後者のケースでは増加したのです。
なお、アメリカ以外の各国は、ドル平価を維持することのできないような基礎のある場合には平価の変更を認められました。
さて、金本位制度の下において自国通貨の相場が下落した国は、金準備の制約から金利の引き上げを余儀なくされましたが、IMF・ブレトンウッズ体制の下でも同様のことが起こりました。
例えば昭和三十年代から四十年代前半にかけてのいわゆる高度成長期において、わが国の金融政策は、「国際収支の天井(つまり外貨準備の制約)」とそれに対応した金融引き締めによって特徴づけられます。
具体的にいうと、いわゆる高度成長期においては企業の設備投資が旺盛で、しばしば景気の過熱を招き、貿易収支の悪化と国内の卸売物価の上昇が生じました。
当時のわが国では資本市場が未発達であり、貿易収支の赤字を資本流入によって賄うことはできなかったので、外貨準備が流出することとなり、外貨準備の枯渇を防ぐために金融引き締め政策(公定歩合の引き上げ措置)が採られたのです。
IMF・ブレトンウッズ体制下におけるわが国の金融政策の目標は、事実上「国際収支(主として貿易収支)の改善」にあったといっても過言ではないでしょう。
もっとも、当時において貿易収支の改善のためにとられた金融引き締め措置は、同時に国内の卸売物価の引き下げにも役立ちましたから、この時期においては対外均衡の達成と国内物価の安定という二つの目標の問にたまたま矛盾が生じなかったのです。
ところでIMF・ブレトンウッズ体制がうまく機能するためには、アメリカ以外の各国が自国のドル平価維持に努めることと並んで、基軸通貨国としてのアメリカ自体の金融政策が節度を保ち国内物価を安定させておくことが不可欠でした。
にもかかわらず、一九六○年代後半に入ると、J大統領の提唱する「偉大な金融緩和政」政策が謎続されたこともあって、市中金融捜関の貸出行動が積極化いその結果行き過ぎたマネーサプライの増加が生じました。
こうして、1972〜73年の過剰流動性がもたらされたのです。
これまでの説明から明らかなように、金本位制度やIMF・ブレトンウッズ体制は、いずれも各国の外国為替相場を一定の狭い幅の中で固定化することによって各国通貨の対外価値の安定を図る社会の建設やベトナム戦争遂行の影響もあってアメリカ国内でインフレーションが進行し、アメリカの貿易収支および経常収支の赤字幅は次第に拡大傾向をたどりました。
国際的なドルのたれ流しが続く中で、基軸通貨としてのドルへの信認は急速に低下してドルを金に党換する動きが一九六七年以降表面化し始めたのです(いわゆる金ラッシュです)。
一方、旧西ドイツや日本などでは貿易収支および経常収支の黒字幅が次第に拡大し、自国通貨への投機的な買い圧力が強まる中で、対外均衡の達成のために自国内でのインフレーション進行を甘んじて受けるか(これを調整インフレ論といいます)、それとも国内均衡を優先すべくIMF・ブレトンウッズ体制から離脱するかの二者択一を迫られることとなりました。
一九七一年八月、アメリカのN大統領はついにドルの金免換を停止することを一方的に表明しました。
その後一九七三年には欧州諸国および日本がドル平価を維持する義務を放棄し、外国為替相場を自由に変動させる変動為替相場制度へと移行することによってIMF・ブレトンウッズ体制は終わりを告げたのです。
したがって、それらの国際通貨制度の下では、外国為替相場の安定のために、しばしば各国の金融政策(および財政政策)は国内の生産や物価の変動をあえて引き起こすことが求められました。
それらの国際通貨制度の下では、対外均衡は国内均衡よりも優先きれるべき政策目標だったのです。
これに対して一九七三年以降、世界の主要国が採用した変動為替相場制度は、発足当初においては各国の国内均衡達成のために役立つものと考えられました。
各国の外国為替相場は今や自由に変動しうるわけですから、各国の金融政策(および財政政策)は、国内均衡の達成に専念できるはずだからです。
また貿易収支や経常収支の不均衡は、為替相場が変動することによって調整されると考えられました。
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